自動車、オートバイ、エンジンの、ちょっと前のハナシが詰め込まれているまとめのようなブログ
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それでは、スポーツカーの小さい方の参加クラス順に記述していこう。3クラス。
BⅠ 国内スポーツカー 1300cc以下 13ラップ 17台
「国内」とは、国産ではなく、「国内にある」という意味らしい。同様に、外人選手名も、招待選手以外は、在日軍人や在日商売人のほぼアメリカ人だろう。4速の改造コンテッサが台数不明でコンテッサ計7台。105マイルクラブの立原義次と山西喜美夫がWエントリー。オースチン・ヒーレー・スプライト(カニ目じゃない時代だが、1960年までの古いカニ目もあった。画像検索で判明)が3台。VANジャケット石津謙介の息子の石津祐介と吉田土岐夫と喜多村誠。外車は小さくてもボンボンだろうなぁ。石津のスプライトは写真では後期型だ。DKW1000スポーツは井口のぼるの車ごとWエントリーらしい。なんでツーリングカーとスポーツカーの2つに出れたのか不明。(JAFリザルトではDKW1000とDKW 1000とある)フェアレディはSPLが2台。SPL310と言ったら、輸出仕様左ハンドルのことだが、名前がSP310で変わらないフェアレディは1.2リッターE型エンジンから、1.5リッターG型エンジンにモデルチェンジされており、G型はこのクラスに入らないから、古いE型の方らしい。当時からスポーツカーを乗り回すのもボンボンだ。お嬢様もいるけど。ポルシェ356も1台。911前の4気筒ポルシェは、レースで各クラスに出場できるよう、小さな排気量から中間排気量まで出していた(1100、1300、1500、1600)。これは1957年以前356Aの1300ccと思われる(1100ccも古く1年間輸入したが)。他にNSU・シュポルト・プリンツが2台。NSUプリンツはヨーロッパの小さい箱レースでは活躍していた方で、これはスポーツバージョンらしい。プリンツのエンジンを使用して、ミュンヒという怪物オートバイが作られたこともある。MGのミジェットも1台。これは新型ヒーレー・スプライト新型の兄弟車。
1 |
井口のぼる |
DKW1000 (スポーツ) |
|
2 |
立原義次 |
コンテッサ |
105マイルクラブ |
3 |
吉田土岐夫 |
ヒーレースプライト |
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4 |
喜多村誠 |
ヒーレースプライト |
|
5 |
山西喜三夫 |
ヒーレースプライト |
|
6 |
塚本育子 |
フェアレディSPL (1.2E) |
トップでフィニッシュしたのは石津祐介のスプライトだったが、レース後の車検でウィンドシールド(フロントガラス)が低いと失格になった。レース前車検で合格しているので抗議はしたらしいが受理されなかったらしい。開催する側も初めてなので勝手がわからないのだろう。ボンボン石津はやっぱり式場の友達らしい。井口や立原は先に述べたので省略。塚本育子は下手らしく、次の第2回日本グランプリで、式場ポルシェ904対生沢スカイラインGTの舞台で、ラップ遅れでフラフラしていて式場を戸惑わせ、その隙を突いて生沢が抜いたので、スカイライン伝説の影の大根役者(影の立役者は式場)かもしれない。出場者は概ね1~2回のレース経験で終わっているが、コンテッサ組の塩沢勝臣(他に塩沢は日野で2人、計3人いる)は日野でレースを続けた。
トップを走る石津祐介スプライト
BⅡ 国内スポーツカー 1300cc~2500cc 15ラップ 19台
なにも準備していないプリンスがウルトラQで有名な高価なスカイライン・スポーツを2台、生沢徹とR・ジョーンズに。先に述べた田原源一郎がツインキャブ改造フェアレディSR310(1.5リットルG型)を1台。セドリック1900DXが1台、R・ダンハムは個人。あとは外車で、トライアンフのTR-4が3台、矢島博とジャズピアニストで作曲家の三保敬太郎(年寄りに「深夜TV、イレブンPMのテーマ教えて」と訊ねると、三保の有名な「シャバダバ」歌いだすぞ)ともう1人。もちろん三保はジャズ好き式場の友人でボンボン。TR-3(古い)5台。立原義次がトリプルエントリー。個人の車だろう。もっと古いTR-2も1台いるぞ。MGBが1台に古いMGAが3台もいる。ポルシェもいる。1500か1600だ。356AかB。OSCAのDOHCと積んだフィアットもいる。
1 |
田原源一郎 |
フェアレディSP310(1.5G) |
実業家・相談役 |
2 |
矢島博 |
TR4 |
|
3 |
立原義次 |
TR3 |
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4 |
発生川忠成 |
TR4 |
|
5 |
松永正義 |
MGB |
|
6 |
宇田川武良 |
フィアット1500スパイダー |
|
7 |
R・ジョーンズ |
プリンス・スポーツ |
|
2リットルクラスのTRやMGより早くフェアレディがフィニッシュしたため、違法改造の嫌疑が掛けられ、レース後車検でツインキャブ問題が出たが、輸出仕様部品で申請済み。その辺の根回しは田原個人なのか日産なのか謎だ。田原については先述したとおり。立原はWり。あとは外車はボンボンだろう。生沢は頑張ったが10位に沈んだ。三保は14位。19台目のTR3は予選9位だが出走できず。ここの出場者も立原以外、すぐに出場しなくなる。金持ちで喝采や名声は欲しいが、努力してきた人間にはかなわない、ということか。そして。「昔はレースしたもんだぜ」とか語るんだろうな。
田原源一郎フェアレディSP310(1.5 Gエンジン)
力走する田原源一郎
生沢徹スカイライン
W・ジョーンズ スカイライン
フィアットvsTR3vsコンテッサvsMGA
フィアットvsスカイラインvsTR3vsポルシェvsMGA
スピンする生沢徹
スピンした生沢徹
BⅢ 国内スポーツカー 2500cc以上 20ラップ 8台
ジャガーEタイプが5台も。1人は招待選手のアーサー・オーウェンで、国際レースで別なクルマで出場するので、この人は初めから賞外。あとは日本人だが、金持ちだろうな。メルセデス300SEを持ち込んだのも、米軍人のW・E・パレット。実は米軍基地内では、ほぼ無税でヨーロッパ車やアメ車が買えるんだって。あとはヒーレーの100とその改良型のヒーレー3000。100は100マイル超えの100で2.6リッター、3000は3リッターの意味。
特 |
アーサー・オーウェン |
ジャガーE |
|
1 |
横山達 |
ジャガーE |
プリンスワークスへ |
2 |
W・E・パレット |
メルセデス300SE |
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3 |
田中松雄 |
ジャガーE |
|
4 |
伊藤一夫 |
ジャガーE |
|
5 |
山西喜三夫 |
ジャガーE |
|
6 |
中野宏一郎 |
ヒーレー100 |
|
ヒーレー3000の27歳、浅野正雄は事前練習も熱心だったが、レース本番で現130R(当時150R)でクラッシュし意識不明の重態、半年後死亡した。横山はこの後プリンスワークスで生沢と共に。しかし、オーウェン以外でもこんなにジャガーEタイプをサーキットで走らせるボンボンがいたんだなぁ。
国内スポーツカーはこんな感じ。ここまで書いてきたけど、添付写真で、全ての車両にナンバープレートが着いたままなのに注目。みんな自走か。外すことも知らないのか。
次は「国際スポーツカー」クラス、招待選手について書く。
国際スポーツカーは3クラスに分けられたが、混走。全部招待選手と彼らが持ち込んだ外国車。混走だが、「国内」が2日に分けて行われたので、同じメンバーで2回レースした。スタートは、これのみルマン式スタート。
日本「グランプリ」の格式を上げ、かつ本場のレースの走りを見てもらいたいという鈴鹿サーキット側の意向だろう。招待費はホンダが全額負担し、ホンダのF1グランプリ責任者、中村良夫さんが、フランスの自動車/レースジャーナリストのベテラン、ジャンビー・クロンバックに依頼して集めてもらった。
日本の観客がヨーロッパのレースについて詳しい訳がない。レーシングカーも見たことが無いんだから。だから、国際レースのトップドライバーの必要はない。レーサーやチームも、全額費用負担とはいえ、ヨーロッパから見たら極東の島国(しかも、異文化の地)にわざわざ危険なレースしに行きたい訳がない。だから、国際レースのワークスチームじゃない金持ちプライベーターや、国内レースレベルのエントラント、新人や極東にいる西洋人なんかに声掛けたみたい。年寄りも来てるな。
一番熱心だったのはポルシェ。実際、日本にはポルシェを買う、式場のようなお客はいたしで、レース部門の重役で監督、若い頃は当然レースに出ていたフシュケ・フォン・ハンシュタインが、仏の356ではない、DOHCで2リットルのカレラ2(高い!)で出場。走る重役、58歳。
ロータスの社長、コーリン・チャプマンは、ホンダF1起草時から本田宗一郎、中村良夫と知り合いだった。初めはロータスの車体にホンダエンジンを積む予定だったらしい。それでも顔を立てて、チームのセールス・マネージャーをしながら国内FJレースに出ている24歳のピーター・ウォーを行かせた。マシンのロータス23はワークスではなく、ピーターが中古で買ったもの。
同じくロータス23を持ってきたマイケル・ナイトはウィンフィールド・レーシングスクールの息子で、FJ挑戦中の新人(これも多分、国際ではなく英国内)。当時19歳。
国内スポーツカーのBⅢで賞外で持ち込みのジャガーEタイプを真っ先にフィニッシュさせたアーサー・オーウェンもこのクラスで同じく赤く塗られたロータス23で戦う。彼はレースもしてるだろうが、英国の国内ヒルクライムCクラスチャンピオンの会社重役45歳だそうな。そりゃ、スポーツカーとレーシングカーの2台を持てるよな。(他にもあるだろうなぁ)
なんとフェラーリを持ってきたのはフランス人のピエール・デュメイだ。一応、国際レースには出ているがワークスではない。雇われチームでもなく、個人で買ってレースエントリーのお金持ちだろう。ツール・ド・フランスレースのGTクラスの上位レベル。誤字の多い資料本では奥方が美人で熱々だそうな。当時の日本人は白人女性コンプレックス高かったろうなぁ。また、フェラーリというのも、日本人は海外レースは知らないし、市販車は庶民にはなじみが無さ過ぎてまだ知名度が無いんだ。アメリカやイギリスに詳しくてもイタリアの知名度低そうだし。250GTベルリナッタはTDFではなく、速いが操縦の難しいSWBらしい。
モータージャーナリストでもある、ジョセ・ロジンスキーが持ち込んだアストンマーチンBD4ザガードの方が日本人の本命だった。なにしろフェラーリは知らない。ロータスは平べったくて1600ccしかない。カレラ2はポルシェにしか見えない。でも、アストンマーチンは英国のレースの名門だもの(ロータスは新興:007映画にDB5が出演するのは1964年で日本公開は1965年)しかも、ノーマルより速そうな流線型のザガードボディーだ。一応、ツール・ド・フランスレースにアルファロメオやジャガーで出ており、1961年のタルガ・フローリオではクラス優勝してる。
イギリス国籍でフランスに住んでいるというフランシス・フランシスはジャガーDタイプを持ち込んだ。Eタイプより番号が若いから古い?その通りだ。しかし、Cタイプ、Dタイプというのはレーシングカーだ。Dタイプの公道モデルを市販しようとしたが、何台か作ったあと工場が火災に遭い、改めて公道用専用に同じエンジンで作ったのがEタイプだ。だからサーキットではDタイプは強いぞ。
香港在住イギリス人、ドン・ベネット56歳も自分で組み上げたキットカーのロータス・スーパー7で出場しようとしたが、ベアリングのトラブルで出走できなかった。スーパー7だから、フォードOHV95馬力だろう。
他に判っているのは、ジャガーEタイプでバクスター、ポルシェでH・リーとセヴェニー、トライアンフTR-4でベイトマン、ロータス11でロバート・リーだ。何者かは知らない。H・リーのポルシェはスーパー90なので、356Bの1.6リッターの90馬力。セヴェニーのクーペS75というのは、ポルシェ356研究本を読んでみたけど出てこないぞ。レーシングバージョンでも。ロータス23は一昨年から投入されていたが、ロータス11はレーシングカーの名車とは言え1956年~1958年に作られたものだぞ。
国際スポーツカー A 5月3日 11台 20周
1 |
ロータス23 |
ピーター・ウォー |
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|
2 |
ロータス23 |
マイケル・ナイト |
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|
3 |
ロータス23 |
アーサー・オーウェン |
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|
|
4 |
フェラーリ250GTベルリネッタ |
ピエール・デュメイ |
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|
5 |
アストンマーチンDB4 |
ジョゼ・ロジンスキー |
|
|
|
6 |
カレラ2 |
フシュケ・フォン・ハンシュタイン |
|
||
7 |
ジャガーE |
R・M・バクスター |
|
|
|
8 |
ポルシェ クーペS75 |
P・セヴェニー |
|
|
|
9 |
ポルシェ・スーパー90 |
H・リー |
|
|
|
10 |
TR4 |
A・ベイトマン |
|
|
|
11 |
ジャガーDタイプ |
フランシス・フランシス |
|
|
|
|
ロータススーバーセブン |
A・ドン・ベネット |
出走せず |
予選10位 |
|
|
ロータス11 |
ロバート・リー |
出走せず |
予選13位 |
|
もちろん観客はあっけに取られた。下馬評では、アストン・マーチンか、たまに見かける、いかにも速そうなジャガーEタイプが早いと思っていたらしい。アストン・マーチン3.7リッターDOHC、ジャガーEタイプ3.8リッターDOHCに対し、フェラーリ250は3リッターのSOHCだ。そのかわり、エンジンフードの下に12本のシリンダーが潜んでいることは、パッカードを知る世代でなくとも、ほとんど知らなかったようだ。まだ、このころのベルリネッタフェラーリのカタチはスーパーカーしておらず、ノーマルのアストンマーチンと同じ雰囲気。そして走り出したら、平べったくて小さい、1.6リッターしかない不思議なクルマが恐ろしく速い。当然、これが、スポーツカーとレーシングカーの差だ。最初はポルシェのハンシュタインも2番手に着いていた。だんだん下がっていくが、その小さいコーナー(ヘアピン等)の走りは観客を熱狂させた。最初から最後まで逆ハンドル、今で言うドリフトだ。リアエンジンだからテールヘビーで素性はオーバーステア。それを安定して走るようにアンダーステア強めに作られたポルシェでコーナーを曲がるにはこうするんだ!みたいな強引なドリフト。国内スポーツカーに出場した2台のポルシェも、セヴェニーもリーもそんな走りはしていない。不気味に速いロータスはロールもしないし、滑りもしないで駆け抜けていく姿も日本人初体験だが、これほどダイナミックは走りも日本人初体験だろう。凄いぞ重役58歳ハッスル。ピーター・ウォーは飛びぬけて速く、スタート直後から2位と差が50mくらいあったそうだ。
スタート直後
ロジンスキーのDB4ザガード
アストンDB4vsフェラーリ250GT
トップを走るP・ウォアロータス23