自動車、オートバイ、エンジンの、ちょっと前のハナシが詰め込まれているまとめのようなブログ
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ファミリーバイクの戦争が始められた1977年。
その1977年は、各社がZ400が開いた道を追随した年だ。なにしろこれまでミドルクラスの4ストはヤマハもスズキも持ってなかった。アメリカ販売と国内の中型免許のライダーへの売り弾を用意しなければならない。
ヤマハはRDは存続のまま、GX400を出す。高速型180度クランクOHCでバランサー無し。重さが変わらない子分がGX250だ。
スズキは750,550,400で4ストDOHCのGS シリーズ。GS750 、GS550は4気筒だが、GS400は180度ツインでバランサーあり。ヤマハ同様、自動車のマスキー法実施を受けて、4ストへの活路を出さないと危険という判断だろう。これまで4スト無しだったから。
ホンダは金食い虫のCB400Fourを「一時休止」という訳わからない理由で止め、2気筒OHCのHAWK-Ⅱを発表。オーバースクエアの360度クランクでクラス最強の40psをたたき出す。これは、アメリカで設計されたとされている。子分はやっぱり同じ重さの250、HAWK-Ⅰで併売。誰にでもわかるコストダウンがてんこ盛りで、4気筒を止めたのはコストのせいだとわかる。
ファミリーバイクとは違う、スポーツバイクの原付のちょっとした変化がここで起こる。その前に、それが始まる前のスズキのオフロード車のハナシをしよう。実は前年にスズキのオフロード車、ハスラーシリーズ(125,250,400)はモデルチェンジをした。タンクのデザインがホンダのCB400Four以上にシンプルで機能的で美しいカタチになった。当然、変なラインとかは入れていない。今見ても、これをオンロード向けに改造したら、面白そうなものができそうと思えるものばかりだ。
ところで、スズキの原付スポーツはホンダ、ヤマハに比べて遅れていた。ホンダは真っ先にスポーツ向けはスーパーカブエンジンから独立させ、水平ではない直立エンジンにしていた。ヤマハも実用車水平エンジンをやがて捨て、直立エンジンをスポーツ系に当てていった。スズキはずっと実用車の水平エンジンだった。それがここにきて、直立エンジンのRG50を出す。デザインは4ストのGSシリーズと違い、かなりいい。だが市場がもっとホットになったのは、不思議なアメリカン、「マメタン」の発売だ。
もちろん、免許が取れる年代の人間なら、本公開どころか、TVの洋画劇場や深夜映画で流れる「イージー・ライダー」を見て、チョッパーのことは知っている。暴走族でも、大ハンドルと段付きシートでそんな改造があった(が、ノーマルフレームなので無様だ)。あんな、そっくり返って乗れるバイクの存在需要があったことになる。本当はアメリカンなポジションの原付は少し前からホンダからノーティーDAXというのがあったが、それほど市場のアピールにはなっていない。
マメタンのデザインはハスラーを手がけた人たちのものだろう。無様なGSと違い、優秀だった。本物のアメリカンがやるようなメッキは使わなかった。雨滴型タンクはハスラーのような平面と局面が構成するスッキリした形状だった。アメリカンでは当時普通は考えられなかったテールカウルもキレイに付いていた。どのマシンよりも空に向って。本当に魅力的だった。珍しくTVCMが打たれたことで、バイクに興味の無い青年たちの興味も引いた。かなりの台数が売られ、マメタンは通産省グッドデザインにも輝く。情けないのは、この後もデザインで迷走するスズキが、2代目マメタンを全く売れない商品に変えてしまったことだ。テールカウルを廃止し、前後フェンダーをアメリカンらしくメッキへ。タンクもより丸く。でも全然売れなかった。私も魅力が減ったと思うし、変わらないはずのサイズが小さく見える。あと、原付スポーツはそのころ、カワサキも参入して、パワー戦争が始まっているのだ。ホンダだって2ストのハイパワーを出してきたし。
ホンダはHAWKで縮小版250があり、ヤマハはGXで縮小版250がある。カワサキはZ400には縮小版は出していない。何故かポツリと125サイズの単気筒のZ200を出した。半分に割ったのかな?どういう市場を狙っていたのか、私にはわからない。
スズキも4ストでは250を出していない。GS400はGS750のエンジンの半分から設計されたものだ。2ストのGT250といえば、T20の昔からそのまま改良されている化石のようなマシンだ(RDのR系より1年くらい長い)。スズキは250はアメリカで売る気は無かったんだろう。日本やヨーロッパなら、まだ排ガス規正法が来る気配はなさそうだ。そんなわけで、全くの新設計でRG250を出す。空冷だ。出力はGT250より低かったが、ずっと軽量に収まった。また、操縦安定性も抜群で、玄人の評価はめちゃくちゃ高かった。デザインも、ハスラーやマメタンと同系統の仕上がりで、GS等より遥かにカッコよかった。もちろん、元祖「400キラー」と呼ばれた。これが後日、ヤマハに影響を与えたのかはよくわからない。安く始められるプロダクションレースでは大変な人気車種になる。
1978年にはたいしたことはない。スズキの「ラッタッタ」となるべく、ユーディーミニがデビュー。CMは森昌子だ。パッソル戦法だね。これから本格的にスズキもHY戦争に追随していく。
あ、1978年にはヘルメット着用義務が時速40kmから30kmへ厳しくなっている。これでも原付は着用しなくていいことになるし(スピード違反は反則)、のろのろ走るなら大きいバイクでもいらない。
ヤマハの4ストシリーズは消えていくGX500以外、アメリカンに舵を取る。GX400、GX250も四角いデザインを捨て、大きなハンドルと段付きのシートだ。ただ、フレームまでは変えていない。あと、前年にデビューしたTX500の反響が大きく、ぜひオンロードモデルも、という声に応えて、SR500、SR400がデビューする。これがまだ生きてるんだから驚くね。
カワサキは地味なZ400をZ650風にデザイン変更。Z1、Z2のようなブラックエンジン。でも売れない。1度しか見たことないぞ。田舎に住んでたからかな。
ホンダは次世代オートバイを考え、GL500を発表。実に60年代のホンダF1と同じボア・ストロークを持つ縦置きVツインは、キャブレターがライダーの膝に当らないように、燃焼室を斜めに曲げた。おかげでOHVにするしかなかったが、1万回転近く回る凄いOHVになった。
また、耐久レースに出場していたRCBの技術を生かして、新しい4気筒を出した。まずは、ツアラースタイルのCB750Kだったが、それでも限定解除していたライダーには影響を与えた。
ちょっと整理しよう。前年の免許制度改正で、大きくてパワー溢れるマシンには事実上手が届かなくなった。新しい免許制度の事実上の上限である400クラスには、各社とも国内販売の中核を担うべきマシンを投入してきた。その実態はZ400に示された、アメリカの方向を向いた安売りマシンだが。それでもまだ、求めやすい価格だ。250はスズキ以外は400のお下がりのようなもので魅力がない。350のお下がり以上に重くて非力だからだ。250HAWKに至っては、価格も下げるべく、コムスターホイールが廃止されていた(その後も400アルミに対し鉄コムスターだったりする)。そして、入門クラスの原付スポーツも若者の目を引き付けるマシンが投入された。このことで、市場および潜在市場は膨らんでくる。原付はヘルメットも不要だしね。私はこれが「プレ・バイクブーム」だと思っている。対象年齢は、スーパーカーブームのころ、中学生以上だった連中ではある。
また、そろそろ高校生の「3ない運動」広まっていくころだ。先にも書いたが、まだ暴走族は免許を取ってバイクを買っていたんだよ。まあ、ご想像に難くないと思うが、禁止されているものは蜜の味だ。ダメだと言えば言うほどやりたくなっていく。そんな意味でも潜在市場は膨らんでいく。高校生のうちはダメでも、高校卒業したら乗れるんだもの。
そうそう、250の魅力だが、暴走族問題で、任意保険の金額が400と同等で、この辺の魅力もあまり無いことも記しておこう。
あくまでもスポーツバイクだ。まだ乱開発も無いし、自分のブランドの魅力をどう出すか慎重にしている。初心者スペック重視派はDOHCのGS400と、クラス最強40psのHAWK-Ⅱに心惹かれそうだが、どちらという訳でもなく、この2台は現在でも暴走族に愛される不思議なバイクだ。湘爆の江口と石川のマシンだしね。でも、びっくりするほど国内販売が伸びていたわけではない(ソコソコ)。HY戦争は、ファミリーバイクの世界だけで、まだスポーツバイクはそれほどでもない。GX400もそんなに人気ないしね。そんなところかな。では次稿。
1979年。クラス分けと性能で、より後のブームを規定する年かもしれない。スズキとヤマハはほとんどなにもしていない。いや、キャストホイール認可とかあってね。
まずはホンダ。CB750KというDOHCのツーリングタイプのナナハンは前年に出していたが、海外の本丸はCB900Fというスポーツバイクだ。公道のRCB、ヨーロッパでは大騒ぎ。日本は業界申し合わせのナナハン規制があるから、縮小してCB750F。デザインは同じくハンドルの低いユーロピアンスポーツでカッコイイ。限定解除は難しいのだが、このマシンが出たことで、受験者倍増。それくらいの魅力があったということだ。そんな当時の状況を「釣りバカ日誌」でおなじみの北見けんいちさんが「かっとび猪熊氏」というマンガでギャグにしているのだが、現在の日本のCB750F~CB1100Fのオーナーはその後のブーム買いの人たちばかりなので誰も知らない。いやホント、アンチホンダのライダーも「アレには乗りたい」と言っていたんだ。暇な文系の大学生とかの受験が多かったのかな?また、このデザインは本当に優秀で、愚鈍なデザインがちょいと不評だったHAWK-Ⅱに同じようなデザインを被せてハンドルを低くしてCB400Nって出したらたちまち大人気。
スズキがスポーツ原付を少し元気にしたので、ホンダは自らの掟破りを出してきた。よく考えてもらえばわかることだが、4ストは2ストの半分しか爆発していない。ということはトルクも半分でパワーも半分だ。でもそうなってはいない。もちろん、後年のスズキの250のVツインをイタリアで積んだら70psくらい出している。日本でそれをやらなかったのは、後の業界自主規制、ではなく、扱いにくいエンジンになるから。マッハ→KHを初め、他の2ストスポーツの出力がダラダラ下がってきたことを思い出して欲しい。ホンダの原付スポーツが水平エンジンのSS50の6psだったころ、ヤマハもスズキも6psだった。ホンダがCB50で6.3psに上げたら、どこも変わらずに6.3psに上がっていた。この辺はHY戦争のスポーツ車への波及だろう。ホンダはこれ以上は出力向上は望めない4ストはとりあえずそのままにする事にし、2ストで原付スポーツを出してきたのだ。MB-5、7ps。フレーム取り回しも軽量クラスのレーサーのようなカタチ。補機の配置とか、後年のヤマハのジェネシス思想に近い。重量マス集中化はHAWK-Ⅱから始まったんだけどね。何にしてもホンダがその気で2スト出してきた。例外的だったオフロードのエルシノア、ファミリーバイクのノビオやラッタッタ以外でだ。もちろん高校生たちはすぐに飛びついた。
ヤマハは迷っていた。国内メインのスポーツモデルをアメリカンっぽくしてたから。だから対抗手段は先ず先にミニバイクだったマメタンよりも大きなアメリカンのRX50を7psにして出すことだった。アメリカンっぽくない2ストのRDシリーズは最後のマイナーチェンジ。後のRZっぽい外観に変更。たぶん、デザインリサーチだろう。性能に変化なし。
カワサキが始めたのは、最初は日本ではすぐに理解されなかった。日本向けではなく、海外向けにZ500を発表。Z1は既にZ1000になっていて、その下にCB750でお蔵入りしたといわれるZ650を出していたが、更にその下にミドルモデルとして4気筒の四角いデザインのZ500だ。当初の日本の反応は当然の如く薄かったが、これを縮小して、Z400FXとして国内販売開始。CB400FourにもなかったDOHCの4気筒で43psの高出力。もともと400クラスより大きいんだから、1つ上の大柄な車体。ハッタリの効く大きさは、限定免許のライダーにとって、一番イバリの効くマシンだ。価格は高めにした。2気筒じゃないんだから。CB400Fourの轍は踏まないぞ。でも、CB400Fourが無くなって、4気筒を渇望する市場があった。社外マフラー付けると音もイイしね。ちなみに、最初のイメージカラーを赤でライン無しにしたのは、やっぱりCB400Foruの購買層を狙ったかららしい。
Z400FX発売で、これまでも影が薄かったZ400のツインは消えるのか?いや、しぶとく消さなかった。ついにフレームを変更し、シートを下げてアメリカンなZ400LTDにして発表。ヤマハはスポーツタイプのフレームにそれ風タンクとちょっと段のついたシートと大きなハンドルでお茶濁しアメリカンだったが、シートが下がり大きく段が付き、ハンドルもより一層大きいZ400LTDはもっとアメリカンらしくて、国内では初めて人気になった。マメタン卒業生が育っていたのかな。あと、アメリカ市場では、Z500購買層とZ400LTD購買層は違っていそうだ。アメリカ人はお手頃価格のZ400LTDを簡単に受け入れるんじゃなかろうか。輸出してたかは知らないけど。ヨーロッパにもアメリカン予備軍はいるしね。
そんな風に400クラスをかき回していたカワサキは、250クラスも出す。前に出したZ200は誰が買うのか判らないモデルだったけど、4ストの250で初めての専用設計でツインのZ250FTを発売。他社の250が400のお下がりで重くてパワーの無い魅力の無いモデルだらけだったのに対し、軽量でパワーあるツインだ。Z400を縮小して重い250ツインを出しても誰も買わないとわかったのだろう。あえてDOHCではなくOHCできたのも、何となくエンジンを軽量にするためのようだ。180度クランクなのにバランサーも無い高回転型だしね。元気なマシンだったよ。
これもじわじわと人気が出てきた。大昔のカミナリ族のころ、YD1対C70、YDS1対CB72だったことを考えると、ちょうど250クラスがRG250対Z250FTという縮図かな。免許が取れたら、いきなり維持費のかかる400へ行かなくても、250でも楽しめそうじゃないか。
そう考えるライダーと予備軍が増えてきたんだろう。
ところで、HY戦争の受け皿がこの年にポツリと発売。軽商用4輪のスズキ・アルト47万円だ。いや、ファミリーバイクの9倍くらいではあるけど、そののちに原付もヘルメット着用義務が付いたし、当時の他の軽乗用車から20万円くらい安い価格破壊車で、「セカンドカー」の需要の堀当てだ。秘密は法規の穴を付いたことにある。2ストのスズキは排ガス対策に苦しんだが、乗用車と比べ、商用車は規制値が緩く、対策後のパワーダウンも少ない。税金も乗用に比べてタダみたいに安い。同時に発売した乗用のフロンテはスズキとして久しぶりの前輪駆動だが、そのせいで、ボディー共通で商用バンが出せる。商用に登録するには、後席面積より荷物室面積が大きければよい。つまり、リヤシートを小さく簡単にすればよい。スズキの調査データでは、軽自動車の普段の乗車人数は2にも満たなかった。リヤシートは非常用でいいのだ。完全な商品企画の勝利である。アルトは売れ、他の軽自動車メーカーもこのクラスに参入した。軽ボンバンと呼ばれる。女性ファミリーバイク層を吸収する商品が出来たといえる。
1980年はHY戦争第2幕の幕開けと、スポーツバイクのスズキとヤマハのテコ入れだ。ヤマハのテコ入れは意味があるが、スズキは何を考えていたのかわからない。カワサキに動きは無い。
まずはスズキは2バルブのGSシリーズがら4バルブのGSXシリーズへ変更。GS550だけそのままで、海外はGS1000→GSX1100に、750、400はそれぞれ変更。400の弟分として、250が参入。400、250のツインは「ザリ」と呼ばれるデザイン。ザリガニっぽいらしいが、そんなにカッコ悪くはない。750、1100、は「どうしたの?」というくらいカッコ悪い。通称「ベコ」。牛みたいという意味。4バルブの新しい燃焼室、TSCCをさっさと出したかったのかもしれないが、本当に何がしたいのやら。ポップ吉村も「GSのエンジンは壊れようが無いくらい強かったが、GSXは壊れてばかりだ」とボヤいている。とりあえず憧れのナナハンはカッコ悪くなり、400は魅力はデザインをどう考えるか(GS400のデザインはZ1の要素真似)ということと、4ストでも250参入ということか。カワサキの販売店は少なかったしね。
ヤマハは、ファミリーバイク第2弾。スクータータイプでなく、もっとパルっぽいモデルのリリックを発売。パッソルでスクータータイプを切り開いたので、簡素なパルのタイプを狙ったのかな。実はこれは凝っていて、昔失敗したスクーターのようにシャフトドライブ採用。メンテナンスフリーだけどね。そういえばヤマハは、3気筒ナナハンでも、4気筒になった900とお下がりのナナハンでも、Vツインのアメリカンクルーザーでもシャフトドライブを使い続けてるな。ナナハンとかは「レースに使えない」(最終減速比がコースに合わせられない)ってヤマハ系レーシングチームにぼやかれてたなぁ。
そして海外でヤマハはRD350LCを発表。350に戻っていることに注目。ヤマハは元々D系やR系ベースで市販レーサーを出していたが、この近年、水冷エンジンになっていた。それを逆に市販に生かしてみた。レースは350クラス、250クラスだから、250は縮小エンジンだけど、350のエンジンに400まで拡大できる駄肉はない。だから350。もう、排ガスで2ストに将来はない。その前に2ストの面白さをみんなに知ってもらいたい。小さな軽い車体で高出力、そのための水冷。アメリカでヨーロッパで、一気に人気が出た。「ポケットロケット」。もちろん草レースに引っ張りだこ。デザインも良かった。エンジン外観が小さくなる水冷2ストの特性を逆に生かしたカッコイイデザインだ。マフラーも初めて黒いチャンバー型になった。それまでの2ストスポーツは、4ストのようにメッキのマフラーで、メガホン外観に出来ないからずん胴の形状だった(RGはメッキのチャンバー型だったが)。
それを日本向けに、どうも熱くなっている250クラスに投入。RZ250だ。往年の250マッハより高い35ps。たちまち日本でも「ナナハンイーター」と呼ばれた。本当は次の年発売のRZ350が「ナナハンイーター」で、RZ250は「400イーター」くらいの実力なのだが。400には別の隠し球が用意されていた。あと、いかにも高性能みたいだけど、RZ250のあり方は過去の350の縮小で250を出すコストダウンなやり方で、私的にはちょとなぁ、と思う。「フルサイズ400じゃないから、RZ350はいきなり他の400クラスと比較されたら困る」と思ったのかもしれない。250から先に出そうって。
でも、これで完全に250クラスに完全に火が付いた。車検が無いということは、多少の改造があっても、2年ごとに戻す必要もないしね。プロダクションレースでも活躍。
中型限定免許でも、ナナハンに劣らない存在感の大きなDOHC4気筒マシンのZ400FXと、維持しやすい上に速さがナナハンに劣らないと言われているRZ250。これがスポーツバイクのブームが本格的に外にも知れる状況になってきた。バイクブームの幕が片方開いたようなもんだ。バイク雑誌が増え始める。
スズキのベコは海外でもデザインが不人気だったのかもしれない。4輪のジムニーなんかと一緒に、デザイナーのハンス・ムートを迎えて、GSX1100カタナを発表。ようやくGSXもなんとかなりそうな雰囲気に。
HY戦争のホンダの切り札、スクータータイプのタクトが発売だ。ファミリーバイクの市場を切り開いたのはホンダだ。ロードパル派生モデルで男性向けなどに市場を広げたが、コストダウンのノウハウはわかった。1977年のバリオでVベルト無段変速の方法も出来た。少し重めのスクーターだって、安くて満足のものが作れる。その後、リードなどの1クラス上のスクーターなどを出し、ヤマハも軽量パワフルモデルや上級などで、ファミリーバイクはダンピング販売の泥沼に入っていく。
さて、懐かしのスーパーカーブームを9歳で迎えた子供が免許取得年齢になってきたぞ。そういう市場がある。スピードの魅力に飢え、馬力のスペックの大好きな。
先のRG250とRZ250では、実は「元祖」リターンライダーが来ている。軽い車体にハイパワーで、カミナリ族やそれに憧れていたオジサマたち、ナナハンで飛ばしていたが、大きいのは体力的にしんどいオジサマたちが以外に飛びついているのだ。
ここでは発売ばかり書いているが、2~3年後には中古車として市場に出ることも忘れてはいけないよ。では次の稿は怒涛が続く1981年。